こなかが2

今まで書き散らした如何なるログも省みずに叫ぶのだが、僕は百合エロが好きではない。女が女を襲うのは勘弁していただきたい。先日、某こなかが漫画を久しぶりに読み返したところ軽く眩暈を覚えてしまった。いや、悶えるこなたは相変わらずかわいいと思った。だが。こなたの前に座るその人物が、なぜかがみなのか?その胸の膨らみはなんなのか?女性であるこなたと、女性であるかがみが、同性である二人が、なぜセックスまがいのことをしているのか?
これが男女であれば、二人の間に子を儲けることが二人の愛の証しになるかもしれない。でもあなたがたは、女性同士のあなたがたが、いくら男女間のそれを真似たって、それは種の遺伝子によって規定された衝動ではないだろう?裸で抱き合うことが愛の証明だなんて思い込んでるなら、それはくだらないよ。本当にくだらない。「裸体を見せ合うことで、無防備な姿を曝け出すことで、互いの信頼を深め合うことができる」などというまことしやかな言説に一瞬納得しかけたこともあったが、やはりこの考え方は受け入れられない。そんな肉欲にまみれた手段でしか互いの信頼を確かめられないなんて、それはあまりにもあんまりだ。あんなに心と心が求め合っているかのように見える二人でさえ、心の隅に疑念があって、裸を見せ合うまで、それを振り払うことができないなんて、僕は信じたくない。
しかしもっと単純に考えてみたらどうか。僕がこなたにしたいようなことを、かがみもこなたにしたがっているんじゃないか。こなかが的文脈に沿わせるなら、かがみは同性愛者としての素質があるから。なるほど。・・・と思ったけどやっぱだめだ。書いてて思ったが、僕は、こなたとかがみの間にはもっと特別な物語を欲してるんだな。同性愛者が、同性を愛して、結ばれるって、それごく普通の恋愛だから。異性愛者が異性を愛して、結ばれるのと全く同じ構造の、普通の恋愛なんだわ。いや、現在世の中におられるカップルの皆さん一組一組に、出会いから、結婚に至るまで、きっと素敵な物語があったとは思う。今こうして、この国の中だけでも何千万といる異性の中から、ただ一人と結ばれる奇跡みたいな出来事を平凡と言うつもりもないが。しかし、こなたとかがみをはじめとして、創作で描かれる女の子同士のカップルには、もっと特別な物語を求めてるんだろうね僕は。かがみがこなたに惹かれる理由に「同性愛者だから」なんて挙げたくない。同性愛者だから同性の一人に惹かれた、なんて理由ではなくて、もっと特別な、そんなありふれた理由を超越したものを求めているんだ。そうして仲を深めた二人は、たまたまどちらも女性だった。こなかがはそうであって欲しい。