鬱かさ――鬱っぽい柊つかさ

自分は「黒つかさ」を「こなたとかがみの仲を厭わしく思うつかさ」と定義しているのだが、以前、さらにこれを「一人鬱っぽくなるつかさ」と「こなたにだけ辛くあたるつかさ」の二つに分類しようとしたことがあった(黒つかさ - MagicEffect - 松竹梅な駄文)。この時は前者は原理的にあり得ないと考えてそれっきりだったが、最近、pixivでつかさ絵をしょっちゅうアップしていた某絵師がなぜか黒つかさを描き始め、これがどうも前者のようなつかさなのだ。後者については嫌いだと断言したものの前者についてはそもそも成立し得ないと考えていたから、当然評価も下してこなかったわけだが、いまこうして前者の黒つかさを前にして思ったことには、これは嫌いじゃないかもしれんなと。そもそも後者が嫌いな理由は、かがみやみゆきにはいい顔するくせにこなたに対しては横暴に振舞うという二面性に耐えられないからだが、前者にはそれがない。いや正確には、氏の黒つかさ絵にはこなたもかがみもほとんど出てこないから、二面性を確認しようがないというわけだが、それでもなお自分はこのつかさを受け入れられるのだから、二面性の有無はさして問題ではなく、それが描かれるか否かが重要なのであろう。
従来の黒つかさは特にこなたとの不仲が重要な要素と考えられ、必ずこなたとセットで描かれてきたが、氏のような重度のつかさ好きは、黒つかさの魅力を、こなたとの不和にではなく、ただこなたとかがみの仲を疎ましく思い鬱になっているつかさ、ただ彼女自身にのみ見出すらしい。それが結局は、僕の想像の範疇の外にあった前者の黒つかさ、「鬱かさ」を生み出したのだ。