2月27日

ゆかりんTwitterを始めたことで多くの人が誕生日を祝うreplyを飛ばすだろうことはわかりきっていた。すべてのreplyに目を通していることを匂わせるpostはゆかりん自身が何度もしていたし、メッセージを直接彼女に届けられるのであればそれは嬉しいことだろう。何より誕生日のお祝いはゆかりんが毎年心待ちにしていることだから、僕だって本当は直接reply飛ばしたかった。しかし。僕普段Twitterで自分からreplyすることなんて全くと言っていいほどないわけじゃない。毎日の挨拶はもちろんのこと、TL上に誕生日を迎えた人がいると分かってたって平気で黙殺してきたわけじゃない。いやTwitter上のfriendどころか、リアルの数少ない知人の誕生日ですら、ここ最近は全く祝ってこなかった。そんな自分が、Twitter上で、好きな声優の誕生日だけは、0時きっかりにお祝いする。これほど滑稽なことが他にあるだろうか?いつも散々非コミュだの友達がいないだの言っておいて、声優の誕生日を祝うだけのやる気はあるくせに、リアル知人にろくすっぽ関心を払わないこの厚かましさ。相手にされなくて当たり前じゃないか。自分のファンの中にそんな人間がいるとわかったら、ゆかりんが悲しむんじゃないか?あるいは第三者から、王国民ってのは痛いやつばっかりなんだと思われたら、彼女自身辛いんじゃないだろうか?僕の痛さは今に始まったことじゃないし、そもそもこのエントリが痛いという話はともかく。そんなことを考え始めたら、いよいよ彼女の誕生日を祝うことなんてできなくなってしまった。
しかも。自分の場合さらに懸念事項があってそれは、一旦はゆかりんを好きになったものの、その後2年半、完全に彼女から遠ざかっていた時期があるということだ。いつまでもかわいいゆかりんでいてくださいなんて殊勝なコメントを贈ろうとしたところで、どの口がそれを言うんだという白けがある。一時目を離しておいていつまでもだなんて。それはこっちがいつまでもファンでいることを前提とした言葉だろう。
でも、それでも今は、ゆかりんにはおばあちゃんになってもかわいい女性であってほしいし、いつまでもその気まぐれな言動にはらはらさせられたい。いつまでもと願うことが滑稽だとは言ったものの、2年半の間が開いてもなおゆかりんが以前と変わりなく活動を続けているという事実は、やはり嬉しいことだった。それはもちろん彼女自身の力によるところが一番大きいけれど、その間ずっと支え続けたファンの存在もまた大きいだろう。4年前の今頃はもっと飛び曲を歌ってほしいだの、もっとライブをやってほしいだの考えていたけれど、今は全然そんなこと思わない。ただゆかりん本人がしたいと思うことをできるように、彼女自身が歩みたいと思う道を歩めるように、あの間ずっとファンを続けてきた皆さんと同じように支えることができたら。いつかと同じように、また心が遠のくこともあるかもしれない。でもあなたが活動を続ける限り、きっとまた戻っていくだろう。ゆかりんほど心を惹かれた女性は他にいないのだから。その時のゆかりんが幸せな人生を歩んでいて、その幸せを少しだけ僕らにも分けてもらえたら嬉しいです。この度はお誕生日おめでとうございました。いつまでもお元気で。前段の件に関しては僕も努力します。